シンガポールに富裕層の移住を誘致するためにシンガポール政府の経済開発庁(Economic Development Board)のスキーム、グローバル投資家プログラム(Global Investor Program、以下「GIP」)が再び改正されると2023年3月2日に発表がありました。今回はその内容についてお伝えしたいと思います。

シンガポールに限らず、米国、ポルトガルやカリブ海諸国にはその国へ一定額の投資を行えば永住権や国籍を与えるプログラムがあります。シンガポールではGIPと呼ばれ、2004年に開始され、EDBの管轄下にあります。2011年にそれまで100万シンガポールドルの投資が条件であったのが250万シンガポールドルに引き上げられました。

プログラムでは、シンガポールでビジネスやファミリーオフィスを立ち上げ、シンガポール人の雇用拡大と経済全体の活性化を狙った政策です。ちなみにシンガポールは個人税、法人税とも税率が低く、投資に対するキャピタルゲインが非課税であるという税制面でのメリットとに合わせて、英国法に近い法制度、ビジネスをしやすい環境、賄賂の厳しく安定した政治体制、教育・医療のレベルが高い、など富裕層が移住しやすい環境にあります。

GIPは当初(金額は2023年3月11日現在)

  • オプションA-シンガポールを拠点とする新規事業体または既存事業の拡張に250万SGD以上の投資
  • オプションB- GIP承認ファンドの1つに250万SGDを投資

の二つのオプションで始まり、2020年には、

  • オプションC:シンガポールを拠点とする新規または既存のシングルオフィス(運用資産額2億シンガポールドル以上)に250万シンガポールドルを資本金として投資

が加わり、現在まで続いています。今回の改正はこのすべてのオプションに変更がなされ、3月15日から実施されます。詳しい変更内容について、地元のメディアの報道を参照しつつご紹介します。

主な変更点1(投資額の変更について)

オプションA

シンガポールでの新規事業または既存事業への投資を選択肢とする応募者は、払込資本金を含めて1,000万シンガポールドル(約10億円)以上の投資。

オプションB

GIP承認ファンドに2,500万シンガポールドル(約25億円)以上投資。

オプションC

シンガポールを拠点とするシングルファミリーオフィスを設立し、運用資産額が2億シンガポールドル以上(約200億円)でなおかつシンガポール通貨庁(MAS)の認可を受けた取引所に上場している企業、MASの照会システムに登録されている適格な債務証券および預金証書、MASの金融機関ディレクトリに登録されているシンガポール認可の運用会社が運用するファンド、シンガポールに拠点を置く非上場企業へのプライベートエクイティ投資という4種類の投資カテゴリーのいずれかに最低5千万シンガポールドル(約50億円)投資する必要があります。

主な変更点2(再入国許可の更新条件の変更)

GIPで得られるのは永住権と呼ばれていますが5年目に再入国許可を更新する必要があります。今回の改正により、更新条件が変更されることになりました。

現在、3つの投資オプションの更新基準は、それらの条件が継続的に満たされていることを前提にさらに10人以上を雇用し、少なくとも半分がシンガポール人であること、ビジネスコストとして最低200万シンガポールドルを計上することです。

今度の改正でシンガポールで新規または既存のビジネスに投資する人は、最低30人を雇用しなければならなくなります。そのうち、少なくとも半数はシンガポール人で、10人は新入社員でなければなりません。

GIP制度の実績

ちなみにGIP制度の実績について2023年2月の国会答弁で担当大臣が次のように答えましたは。

  • 2011年から2022年にかけて、54億6000万シンガポールドル以上の事業支出を直接投資を通じて生み出し、24000人以上の雇用を創出
  • 2020年から2022年の間に、約200人がGIPを通じて永住権ステータスを付与された

変更の背景

ここからは変更の背景について個人的な解釈です。背景には国内要因と国外要因があると思われます。多くの国・地域が「優秀なビジネスオーナーや投資家を引きつけるために競争している」中、GIP変更の背景としてEDBは、

  • 「シンガポールからビジネスの成長と投資を推進することに関心のあるトップクラスのビジネスオーナーだけを引きつける」
  • 「この変更は、GIP投資家が国内の金融システムにより多くの資金を投入することを促し、金融、税務、法律の専門家やファンドマネジメントなどの役割を担うシンガポール人の雇用を増やすことになる」

と説明しています。

裏を返せば、シンガポール経済への関わりが少ないと政府が思う投資家がいるのでしょう。また今回、オプションCの投資先を細かく指定していることから、富裕層が関係している海外の未公開企業株式だけに投資しているファミリーオフィスがいて、国内の金融システムへの貢献が少ないのだと思います。

海外への配慮

国外要因としては周辺国への配慮があるように思われます。コロナ禍を境に香港や中国大陸からシンガポールへの移住が活況です。

日本経済新聞が2023年2月28日に配信した記事「[FT]アジアの都市間競争 シンガポールが香港に肉薄」は詳しくその実態を報じています。

「シンガポールでは、富裕層の資産を管理・運用する『ファミリーオフィス』が増加している。同国のデータ分析会社ハンドシェイクスによれば、その数は18年の数社から、22年末には推計1500社に達した。巻き返しを図りたい香港は、世界で最も裕福な層のファミリーオフィスを対象とした『招待者限定』の会合を3月に開催する予定だ。

香港大学の金融学の主任教授を務める陳志武氏は、中国政府が反ビジネスや反富裕をますます強めているとの認識が『中国の富裕層が本土や香港からシンガポールなどの場所へ移住する主な理由だ』と述べた。

香港中文大学ファミリービジネスセンターの区玉輝所長も、富裕層は『以前は香港に(資産を)置いていたのかもしれないが、今はシンガポールに移している』と話す。」

シンガポールではオフィスや住居の家賃上昇が大きな話題となっています。中国からだけではなく、最近は日本からの富裕層の移住者も増えている印象です。

ところで中国大陸から海外に資産を持ち出すのは困難です。著名な投資家のマーク・モビウス氏がHSBC上海の口座からお金を海外に送金できないと語っています。そんな中、知り合いの中華系のプライベート・バンカーによると資金移動を手伝うブローカーが居て手数料は8.5%が相場とのことです。富裕層を支えるビジネスにはいろいろなものがあります。

この記事を書いた人

岩田雄

サウスカロライナ大学国際MBA、ウィーン経済経営大学国際MBA、修了。国際基督教大学卒業。

MBA終了後、東京でステート・ストリート信託銀行、ゴールドマン・サックス・アセット・マネジメントに勤務。ロンドンで日興アセット・マネジメント・ヨーロッパにて欧州/中近東のソブリンウェルスファンド、銀行、年金、保険会社、王族ファミリーオフィスなどに営業を行う。

その後、日興アセット・マネジメント・香港設立のため香港に転勤後、シンガポールの日興アセット・マネジメント・アジアに赴任。三井住友銀行シンガポール支店、J. Safra Sarasin銀行を経て2020年にコンサルティング会社をシンガポールで設立。

2023年4月にシンガポールのマルチファミリーオフィス、ファースト・エステート・キャピタル・マネジメント(First Estate Capital Management)の取締役兼ウェルスマネジメント部門のヘッドに就任。