ロシアのウクライナ侵攻に伴い、ロシアの政治家や富豪に対する制裁が各国で行われています。日本の岸田首相も2022年2月27日にプーチン大統領を始めロシア政府関係者の個人資産凍結を発表しました。欧米にはロシアの大富豪の資産が多くあり凍結の対象となっています。そんな中で、サッカープレミアリーグの強豪チェルシーのオーナーのアブラモビッチ氏の豪華ヨットが制裁に加わらないトルコに入港したというFTの記事を日経新聞が訳して掲載しました。アジアの富裕層が今回の動きをどのように捉えているか、Bridge Rock Consultingのマネージング・ディレクター、岩田雄さんに聞いてきました。

シンガポールではロシアのウクライナ侵攻に対してどのように見ていますか?

シンガポール政府は日本同様に欧米と足並みを揃えて2月中旬に経済制裁を発表しました。国連憲章に則り、他国への武力的行動には反対するという立場です。地元英文紙ストレート・タイムズによると世論調査で国民の95%がウクライナに同情していますが、政府の経済制裁への支持は6割に止まりました。興味深い結果だと思います。シンガポール人弁護士の友人からはシンガポール人同士の内輪の議論で「こういう時こそロシアと仲良くすべきだ」という強い意見を持つ人がいる、と聞いています。

富裕層はどうでしょうか?

資産凍結の範囲、効力、スピードが想像以上だったようで驚いているようです。その中で注目されるのは「信託(Trust)」の活用です。

たとえば英国のガーディアン紙が伝えたこの記事によりますとアブラモビッチ氏と同様にサッカープレミアリーグのロシア人オーナーとして有名なウスマノフ氏は、英国に高級アパート6軒、オフィスビル1棟の他、3.5億ドルのプライベートジェットや6億ドルする豪華ヨットの所有が確認されていますが、その多くが信託に預けられ、本人が受益権を家族に贈与したため、凍結できないようです。ウスマノフ氏自身がプライベートジェットや豪華ヨットに乗る時は、「レンタル」するそうです。

凍結できない?

信託にもいろいろな種類がありますが、ガーディアンの記事は信託設定後に受益者の同意を得ずに変更できないIrrevocable trust(イレボカブル・トラスト)が使われていると報じています。このイレボカブル・トラストを設定したウスマノフ氏は受益権を家族に贈与したので、彼に所有権がありません。ウスマノフ氏の約80億円のロンドンの邸宅とヘンリー8世の時代に建てられた約55億円のサリー州のお城を英国政府は当初凍結対象にすると発表していましたが、キプロスとマン島の信託が使われているようで「凍結の執行は難しい」と専門家の意見を記事は紹介しています。

アジアの富裕層がなぜ資産凍結に興味を持つのでしょうか?

今回は戦争という特別な理由で資産凍結が行われましたが、いろいろな国で生活するアジアの富裕層はこの特別な状況でも資産凍結の対象外となる信託の強みを認識したと思います。ビジネス上の理由なのか、政治的理由なのか、あるいは今回のように戦争に巻き込まれるのか、将来何が起きるかわからない中、家族の生活を資産凍結から守るための仕組みを確保したいというニーズからの興味です。

信託の活用が増えているのでしょうか?

第2回でご紹介したグローバルな独立系信託会社のシンガポールのヘッドによると中東や欧州のお客様が急に増えている、と言っていました。信託の設定場所は米国が人気だそうです。

米国?

政治制度への信頼が高いのだと思います。米国の中に信託を作ることで米国以外の国から守られる、という意識があるのかもしれません。また設定する州と信託によっては節税効果もあるそうです。

デラウェア州、ネバダ州、サウスダコタ州などが非米国居住者向け信託を設定しやすいそうですが、彼らはサウスダコタ州に事務所を構えています。

信託をどこに設定するか、はどのように判断するのでしょうか?

シンガポールは信託を設定する場所としては良いところだと思いますので、シンガポールを例にお話しします。まずは法制度がしっかりしている、政治体制も安定している、銀行/保険/資産運用を担うスペシャリストが揃っている、という点を考慮すべきだと思います。

信託は作っておしまいということではなく、信託はあくまで器です。器がまずしっかりしているかどうかの判断は法制度の整備と政治的安定が重要です。法律できちんと権利が守られるか?なにか争いが起きた時に裁判所などで判断してもらえるか?などが重要だと思います。シンガポールは英国法に準拠し、シンガポール国際仲裁センターもあり、その点で信頼されています。またシンガポールの信託会社はシンガポール政府の認可を受ける必要がありその点も安心です。

また器を使って何をするか?ということを突き詰めるといろいろな分野のスペシャリストが揃っている国/地域で信託を設定した方が便利、という考え方になります。第2回でお話しした通り、日本人のお客様でシンガポールのプライベートバンクに口座を開き、シンガポールで信託を設定し、シンガポールで保険に加入する方もおられます。全てが揃っていて種類も豊富であれば、いろいろな事情に合わせたソリューションが作れます。

でも先日、日本人のお客様からシンガポール以外にどこかいいところはないか?と相談を受けました。

シンガポール以外?それは何故ですか?

このお客様は老後を日本以外で過ごすことを念頭にシンガポールのプライベートバンクと口座開設の相談をされています。シンガポール以外の東南アジアの国に移住することを考え、資産は移住先の国ではないところで信託を設定して置いておきたいというご希望です。相談しているプライベートバンカーは自社グループの信託会社を紹介し、シンガポールで信託の設定を勧めていますが、シンガポールの信託は最長で100年なので相談が舞い込みました。そのお客様は子孫が長く信託の恩恵を受けられるように無期限の信託を設定したいというご希望です。

信託の年数は上限が決まっているのですか?

シンガポールは100年です。他の地域はGoogleで調べた結果なので正確ではないかもしれませんが、ニュージーランドは80年、モーリシャスが99年、マルタが125年、ケイマン諸島150年など有限なところと、米国のサウスダコタ州、キプロス、マン島、香港など無期限のところがあります。また英国バージン諸島は信託の種類によって360年と無期限の両方があるそうです。

他に考慮すべき点はあるのでしょうか?

地域という点では、イギリスとフランスの間にあるチャンネル諸島のガンジー(Guernsey)も無期限の信託を設定できますが最近制度が変わり、受益者などいろいろな情報を開示しなければならないようになったので独立系信託会社のヘッドは、「自分の会社グループではチャンネル諸島で信託をもう受けないし、同業もシンガポールに引っ越して来ている」と言っていました。

地域も重要ですが、もう一つ考慮すべき点は信託を設定する場所の分散です。「全ての卵を一つのバスケットに入れるな」という運用の格言がありますが、信託もいくつかの地域に分散して設置することも重要です。ガーディアンの記事に戻りますが、ウスマノフ氏のサリー州の古城はキプロスの二つの信託が、ロンドンの邸宅はマン島の信託が保有しているようです。マン島は国ではなく英国王室領なので制度変更のリスクを考えてウスマノフ氏は信託を分散したのかもしれません。

信託会社選びという点では、免許を信頼できる政府から受けているか、認可する国も見ていると思いますが経営基盤、受託できる資産の種類が金融資産と保険だけなのか、絵画や未公開企業株など幅広く受託できるのか、信託が設置できる国/地域の数などではないでしょうか。 続く

この記事を書いた人

岩田雄

サウスカロライナ大学国際MBA、ウィーン経済経営大学国際MBA、修了。国際基督教大学卒業。

MBA終了後、東京でステート・ストリート信託銀行、ゴールドマン・サックス・アセット・マネジメントに勤務。ロンドンで日興アセット・マネジメント・ヨーロッパにて欧州/中近東のソブリンウェルスファンド、銀行、年金、保険会社、王族ファミリーオフィスなどに営業を行う。

その後、日興アセット・マネジメント・香港設立のため香港に転勤後、シンガポールの日興アセット・マネジメント・アジアに赴任。三井住友銀行シンガポール支店、J. Safra Sarasin銀行を経て2020年にコンサルティング会社をシンガポールで設立。

2023年4月にシンガポールのマルチファミリーオフィス、ファースト・エステート・キャピタル・マネジメント(First Estate Capital Management)の取締役兼ウェルスマネジメント部門のヘッドに就任。