最近、「文化度が高い」というテーマについて考えています。大量消費・大量生産の時代は終わりを迎えて、人間は何をもって幸せと感じるのでしょうか。人間は、もはや「所有財を見せびらかすこと」では満足を感じることができなくなっています。私は、超富裕層の読者の方々こそが、「文化度の高いライフスタイル」を送れる社会を創っていくことを望みます。この辺りは、いつか皆様と議論してみたいテーマでもあります。第2回は超富裕層の方が押さえておくべきトレンドの中で「脱炭素」を用いて、「人として、文化の度合いが高い」とはどういったことを指すのかを考えていきたいと思います。
脱炭素からみる「支配する側」と「支配される側」
日米で「脱炭素」を掲げる新政権が誕生し、世界の自動車産業は一気に「電気自動車(EV)」のかじを切りました。株式市場でも、脱炭素という大きな風が吹き始め、関連銘柄が上昇していることから、“確実に息の長いテーマ”であることは間違いないでしょう。投資対象としても有望なテーマです。ただ、『脱炭素』が「新しい食いぶちの維持のためなの」か、「真に持続可能な社会のための政策なのか」といった、矛盾を内包している分野であるのは事実です。「脱炭素」という切り口で、世の中を見るだけでも、本音と建前が入り交ざり、「支配する側」と「支配される側」の境界線を、まざまざと見せつけられます。超富裕層の方々には、このあたりの事まで踏まえて、世の中を鋭く見てほしいです。
脱炭素はビジネス、誰が作ったルールか?
2015年に採択された地球温暖化対策の国際的な枠組みである「パリ協定」で、温室効果ガスの増大による平均気温の上昇がもたらす、都市の洪水や異常気象の解決のために、世界の平均気温の上昇を産業革命前に比べ2度未満に保つとともに、1.5度に抑える努力をすることを目標に掲げています。そのうえで、世界の温室効果ガスの排出量を今世紀後半には実質的にゼロにするとし、先進国や発展途上国などすべての国が温室効果ガスの削減目標を設けて対策を進めることを義務づけています。今年、アメリカが「パリ協定」に復帰したことで締約国は約200ヵ国に上ります。
人間社会では、先にルールを作ったものが「勝ち」です。脱炭素、というEUのルールに我々は乗りながら、日本の強みを生かしていかなければならないのです。日本国際問題研究所の「研究レポート」 によれば、「EUは先んじて、自ら高い気候変動目標を課すことで、将来にわたり先行者利得を得ることを企図してきました。自ら、高い気候変動目標を達成するための技術やノウハウを蓄積することで、その後、他の国や地域が高い気候変動目標を達成しようとする際に、EUの技術やノウハウを輸出することが可能となると考えてきた」と述べています。EUの環境産業(とくに低炭素・脱炭素産業)は国際的競争力をもつことに繋がるわけであり、つまり、“ビジネス”なのです。高貴な理念を掲げている環境問題も、単なる買い替え需要に繋がるビジネスと切っては切り離せない現実を見て、超富裕層の方々は何を思うのでしょうか。
脱炭素の動きは「米中対立の新たな前線になる」
私は、この先、脱炭素が美しい理念をまとったものではなく米中対立のツールになると考えています。EUが温めてきた環境産業「脱炭素」の覇権は米中に移っていきつつあります。米中が5G、半導体、セキュリティ、で対立してきたように、ここから先は「脱炭素」も覇権争い一部分になるのです。そうなれば、投資対象として魅力的ではあるものの、本来のグリーンエネルギーの意味合いからズレいきます。誤解を恐れずに、敢えてお話させていただきますが、社会的課題について、ひとりの人間の意見を投げかけたとしても、誰しもの意見が必ずしも平等に扱われるわけではありません。社会的にどの立場の人間が放つ言葉なのかによって、重要度が変わり、価値のあるテーマとなり、世論を変えていく可能性があります。半導体や5Gはビジネスのど真ん中であり、ノーブルな理念を掲げる必要が、そこまでない分野はビジネスマン達に任せて置けば良いでしょう。ただ、脱炭素という一見すると、高尚なビジョンを掲げていますが、いつの間にか「ビジネスのツール」にすり替わってしまいつつある分野こそ、「経済的に余裕のある人の中でも、文化度を高く物事を考えている人」の声が必要なのではないかと思います。
「あなたはイーロン・マスクの”ノアの方舟“に乗りますか」
いま、経済の成長を追い求め続ける「資本主義」に対する疑問が浮かび上がっています。ここまで述べてきた「金儲け的な環境」ではなく、地球での生命を育み続けるために、サスティナブルな社会を本気で作ろうとしている人達もいます。イーロン・マスクは「火星への移住」を計画し、火星で都市として機能して人口を有することができる持続可能な基地の建設することを目指しています。これを受けて、「あなたはイーロン・マスクの”ノアの方舟“に乗りますか」と問いたいと思います。私にはサスティナブルな社会と正反対の動きに映ります。経済成長がプラトーに達した地球を離れて、「新しい植民地」を求めている「資本主義」の延長線上の動きにしか感じられません。「火星への移住」は夢やロマンを感じる人も多いでしょうが、イーロン・マスクの「ノアの方舟には乗らず」、地球で「生きる」という選択をしたい人間もいるでしょう。残りたい選択をした人間の知恵によって地球を永続させられるかどうかがかかっているのです。我々は、いまその分岐点に立っています。「脱炭素」が新しい食いぶちの維持である事実は、受け入れながらも、真に永続する地球のための政策としていかなければならない。「ノアの方舟に乗って地球を捨てる」という選択肢しか残っていない状況になってからでは遅いのです。少なくとも、私は、永遠の命を手に入れたとしても、ノアの方舟に乗らずに、サスティナブルな地球を取り戻したその中で生を感じたいです。このような視点を含めて世の中について考えていくことが「文化度の高いライフスタイル」の一部分になるのではないかと思っています。