北海道帯広市に生まれた関直美さんは、建設会社に就職された後、ニューヨークへ心理学を学ぶために留学されました。その後、お母様の体調悪化をきっかけに帰国し、家業である茶家を継がれています。伝統文化への思いを深め、34歳で東京藝術大学に入学。大学院修士・博士課程を修了し、現在は能楽シテ方宝生流の職分、茶道裏千家の正教授として、国内外で活躍中です。異色ともいえるキャリアに通底するのは、「人と人との心のつながり」を追求されてきた姿勢。そんな関さんに、日本文化の精神性や文化への投資についてお話を伺いました。

インタビュイー:関 直美氏
1964年北海道帯広市生まれ。音楽博士。高校卒業後上京、専門学校を経て大手建設会社勤務。4年で退社し米国ニューヨークに留学。セントフランシス大学心理学部卒業。母の体調が悪化したため帰国、茶家を継ぐ。99年34歳で東京藝術大学音楽学部邦楽科入学、同大学院音楽研究科修士課程、博士課程修了。裏千家茶道専門学校研究科修了。重要無形文化財保持者(総合認定)認定。(公社) 能楽協会会員、(公社) 宝生会会員。伝統文化普及継承団体「伝統の橋がかり」主宰。(一社) 裏千家淡交会特別師範会員、裏千家インターナショナルアソシエーション会員。昨年、自身の半生と能の魅力を散りばめた『Yes,Noh』(クラシップ社)を出版。
伝統の橋がかり | Bridging The Traditions Website
インタビュアー:中島宏明
茶道と能に共通する“間”と“静寂”の力
――関さんは極めてユニークなご経歴をお持ちですが、茶道や能の魅力はどのようなところにあると感じていらっしゃいますか?
関 直美氏(以下、関氏):どこに魅力を感じるかは自由ですし、人それぞれで良いのですが、茶道にも能にも共通する「間(ま)」と「静けさ(しじま)」も魅力のひとつだと思います。たとえば茶室では、亭主と客の距離や目線、言葉を交わすタイミングまでが“間”として設計されており、それが人間関係を円滑にする鍵となります。能においても、言葉の「間」、動きの「間」、音楽と沈黙の「間」が観る人の心に余白を生み出し、自分自身と向き合う時間をつくってくれます。
この「間」を読む感覚は、ビジネスの現場にも通じるのではないでしょうか。「今、話すべきか、それとも黙るべきか」「今、攻めるべきか、それとも引くべきか」。そうした判断力や空気を読む力は、グローバルな交渉や人間関係において非常に重要です。日本の伝統文化から“間”を知ることで、ビジネスの現場や人生にも活かせると思います。
海外の富裕層が日本文化に惹かれる理由
――関さんは海外の富裕層の方々とも交流されていますが、なぜ海外の方々は日本文化に惹かれるのでしょうか?
関氏:世界各地で、茶道や能を通じて交流を行っています。アブダビ、フランス、アゼルバイジャン、アメリカなど、さまざまな国の人々とお話していると、日本文化に対する深い尊敬と関心を感じます。特に印象的だったのは、アブダビ王族の女性が自ら茶道を学び、日本を訪れて稽古場を訪問されたことです。
海外の富裕層は、自国の文化を深く理解し、他国の文化にも敬意を払います。だからこそ、教養のある日本人であることが、海外の富裕層から信頼を得るうえで大切なのではないでしょうか。一方で、日本人には自国の文化に対する意識の乏しさが目立ちます。これは単なる趣味の話ではなく、国際社会、国際交流において信頼を築くための基本的な教養なのだと思います。自国の文化に敬意を払えないのは、恥ずかしいことです。
『風姿花伝』は経営者にも読んでほしい時代を越えた名著
――能と言えば、やはり『風姿花伝』についてお聞きできればと思います。愛読している経営者の方も多いですよね。
関氏:世阿弥の『風姿花伝』は、時代を越えて読み継がれている名著ですね。たくさんの名言がありますが、なかでも「おどきめどき(退き時・攻め時)」という言葉には、人生とビジネスの本質が込められていると思います。人生もビジネスも、成功ばかりが続くわけではありません。勢いよく進むときと静かに退くとき、その見極めが非常に重要なのではないかと。ときどきでも風姿花伝を読み返してみると、常に新しい気づきがあります。
また、「秘すれば花」の思想も現代のSNS社会とは対照的な美学です。すべてを見せるのではなく、あえて余白を残し、観る人の想像力に委ねる“引き算の美”。それは成熟した知性の象徴とも言えます。風姿花伝は、富裕層や経営者、起業家の方々にもぜひ読んでいただきたい哲学書です。
日本文化を“体感”することで、自分を再発見する
――茶道に比べると、能はより敷居が高いと感じる方も多いと思います。やはり鑑賞前の予備知識は必須なのでしょうか?
関氏:いえいえ。能は、わからなくて良いんです。ぼーっとしているうちに、なにかが心に浮かんでくるんですよ。茶道や能は、「ビジネスパーソンのためのデトックス」のようなものです。能の舞台では、ストーリーを追うのではなく、音の響きや舞の所作といった“間”に身を置くことで、日常から離れた非日常の深い内省の時間が生まれます。
これは、情報に溢れた現代において極めて貴重な体験になると思います。なにかを得ようとせず、ただただ感じる。その中でアイデアや発想が自然と湧いてくる時間は、富裕層や経営者、起業家の方々にとって、心の再起動にもなるのではないでしょうか。
文化に寄付するという文化を日本にも
――先ほどの海外の富裕層の文化への敬意にも通じますが、日本にももっと「文化に寄付する」という文化が広まれば、文化芸能を次世代に脈々と継承していくことができるのではないかと思います。
関氏:茶道や能といった日本の伝統芸能は、多くの人の協力と多額の資金が必要です。子どもたちに能を体験してもらう活動を続けているのですが、自己資金だけではやはり限界があります。
日本の富裕層の方々には、ぜひ文化に対して寄付をしていただきたいですね。富裕層の方々には、文化を守り、次世代に継承する責任があると思います。これは、海外の上流階級では当たり前に共有されている「ノブレス・オブリージュ」の考え方でもあります。主宰している「伝統の橋がかり」では、文化を未来に繋ぐためのさまざまな取り組みを行っていますので、ご興味のある方はぜひ一度お越しになってください。日本でも、文化継承ファンドの組成や企業によるCSR支援などが、もっと積極的になってくれればと願っています。
「文化資産」を次世代へ
――文化への寄付や投資が、もっと当たり前になると良いですね。
関氏:そうですね。伝統文化を日本人や人類の資産として捉えていただきたいですね。建築物や金融資産と同じように、日本文化もまた未来へ受け継ぐべき「文化資産」です。能の装束、茶道具など、世界に誇れる有名無形の美の遺産は数多く存在しますが、それらを守り継ぐには、人と資金の支えが欠かせません。
文化は、一度絶えてしまえば二度と戻ってはきません。だからこそ、経済的に余裕のある富裕層の方々にこそ、“本物を守る”役割があると思います。文化に触れ、支え、未来へと橋を架けていく。そんな方が一人でも増えてくれたら、日本文化の継承につながります。